マイノリティ・リポートからはじめよう

各種映画に登場する表現を参考にしながら、次世代インターフェースを考察するという取り組みです。

このブログの最初の投稿は、やはり「マイノリティ・リポート」から始めましょう。
その前に、いくつかお約束ごとを説明しておきたいと思います。

映画の評論はしません

私達は映画は好きですが、そんなにたくさん見ているわけではありません。ですから、映画の優劣は分かりませんし、映画の内容を議論することもできません。
あくまでも、目にした映画の中から未来へのヒントをつかもうというだけの趣旨ですので、ご理解ください。

「他の映画で先行事例が」

ああ、それはありえます。私たちはそんなに映画をたくさん見ていませんし、過去に見たものを完璧に覚えているわけでもありません。
したがって、先行事例があるだろうとも思っています。
是非、教えてください。可能な限り、観てみます。

映画のための描写を批判しません

映画は別段、未来予想でもなければ、正確であることを求められる存在でもありません。
そもそも、エンターテインメントですので、観ていて楽しいものであることが求められます。
したがって、映画では荒唐無稽なインターフェースや、「こうすればいいのにわざわざ・・・」というもの、「そんな馬鹿な」的なものだってあります。
それにケチをつけることはしません。
もちろん、現実世界に置き換えるときに不合理なものは指摘しますが、あくまでも、映画の表現への敬意を前提に、「でも、実際はね」という話をするものです。

「マイノリティ・リポート」が開いた未来

2002年に公開された、この映画が私たちの未来に与えた影響はかなり大きいと言っても言い過ぎではないでしょう。
映画が公開されてから15年以上が経過した今でも、両手を使って「ズーム」「ピンチ」するようなアクションを「マイノリティ・リポートみたいに」という表現をする人、いませんか。
とにかく、この映画の示した未来は衝撃的なものでした。
例えば、どのようなものがあったでしょうか。

ジェスチャーによるデータ操作

まず、筆頭にあげられるのはジェスチャーによるデータの操作でしょう。
アンダートンは、視界いっぱいに広がる透明なデータ領域に、プリコグの脳から送り出された映像や、捜査機関にストックされた各種情報を整理し、精査していきます。
なにしろ、殺人の被害(予定)者名が表示されても、それが実際にはどこの誰なのかまでは分かっておらず(その点では、社会保障ナンバーなどを表示するノーザンライツ、あるいはマシン(Person of Interest)よりもわかりにくい仕掛けです)、まさに時間との戦い。

この映画におけるジェスチャーは、手に装着したグローブの動きをコンピューターが読み取って行われます。

指先が発光することによって、センサーが読み取りやすくなる工夫がされているのでしょう。
こうしたインターフェースは、実に未来的に見え、常に私達を魅了してきました。
例えば、Microsoft surface。

同名のパーソナルコンピューターを発売したために、今は「Microsoft PixelSense」と改名されていますし、なによりも、今見ると、随分と古臭い(失礼)印象はありますけれど、非常に大きなディスプレイ上でマルチタッチができるという姿にも、この映画の影響を感じたものでした(異論があることはわかります)。

このジェスチャーアクションについては、別稿で何度でも議論していきましょう。

網膜認証

そして、網膜認証。なんと、街を歩いていると、勝手に網膜を読まれてしまって、それが広告にまで反映される・・・・という世界観でした。

2002年頃の個人情報に関する社会の意識がどのようなものだったかわかるような設定ですね。
今の厳しい基準だと許されない内容かもしれません。でも、ネット閲覧履歴などがどんどん広告に利用されているわけで、同じことかもしれませんね。

網膜認証は、さらには犯罪操作にも使われることになり、犯罪者側は、目玉の取替という方法でこれをクリアしようとします。

生体認証も重要なファクターの一つです。これについても、何度か稿を改めながら議論していきましょう。

この他にも・・・

なんとも表現のできないカブトガニのような操作ロボット、様々なところで使用されている透明なコンピューターディスプレイなどなど、未来的なアイテム満載のこの映画。
こうした映画から、私達が進むべき未来を探っていきたいと思います。

この映画が遺した物

映画「マイノリティ・リポート」は、2016年にもドラマ版として続編が制作されました。
非人道的とも言える職務から開放されたプリコグが、その後も感じる殺人の予知に悩まされながら、刑事と組んで事件を解決していくというものでした。
もちろん、このドラマの中でも、様々な技術が表現されていて、本家映画の延長線上にあるという設定が活かされています。

映画「マイノリティ・リポート」がいつまでも私達の心に残るのは、おそらく、「荒唐無稽」ではない、「確かにこの先にはこうしたインターフェースが実現しそうだ」というリアリティの上にストーリーが成り立っていて、それが説得力を産んだこと、そして、その技術が実現する、なんとも言えないディストピア感、さらに、間違いを悟ったときに引き返せる私達の姿・・・希望の姿。こうしたものが背景にあるように思います。

映画から20年近くが経過し、いよいよ、現実の方も、映画の世界に近づこうとしています。
私たちは、スマートフォンの更に先に、どのようなインターフェースがあるのか、あるべきなのか、それを研究していくために、このブログを始めます。

投稿者: holo_admin